雨と梅がふたりをつなぐ




霧雨が頬を濡らす。屋根の下に逃げ込むには未だ距離がある中で暗い空は恨めしいが、咄嗟に赤子を包み覆えるだけの蓑を手にしていたことは幸運としか呼べなかった。
大事に両腕で包んだ蓑の中から、白く丸い顔が覗く。言葉も発せなければ天候の良し悪しなどまるで介さぬ無垢な妹が、可愛くて堪らない。赤子を不必要に揺さぶりたくも無ければ、梅を濡らさずに済むなら急ぐ必要も無い。
清潔とは程遠い着物が、徐々に水分を含み始めた頃のことだ。不意に降り注ぐ霧雨が遮られ、妓夫太郎は眉を顰める。

「・・・おい、よせよなぁ」

こんなことをする人間はひとりしかいない。顔を向けた先で傘を差し出した同年代の少女が、不思議そうに小首を傾げていた。

「どうして?いや?」

小ぶりな唐傘だ。子ども同士とはいえ、差し出したの肩が濡れてしまう。
妓夫太郎と違い穴も破れも無い着物。その肩口が少しずつ色味を濃くしていく光景は、鈍い罪悪感と僅かな嬉しさを同時に伴った。

「お前が濡れるだろうが」

言われたことに目を丸くすること数拍の後、は明るく笑った。

「平気だよ。私がね、妓夫太郎くんが雨に濡れちゃうのがいやなの」
「・・・なんだそれ」

彼女はこの街の人間たちの中で異質だ。誰もが蔑み嘲る妓夫太郎に対し、唯一好意的な態度をやめない。汚い醜いと距離を置かれるのが常である中、臆せず踏み込んで来る。この街一番の嫌われ者を同じ唐傘に入れるとは何たる変わり者か。

「妓夫太郎くんがからだ壊したら、梅ちゃんも泣いちゃうよ。元気でいなくちゃ」

そんなの異質さに救われていることもまた、事実だけれど。
やんわりと促されるまま肩を並べて家路を歩き出し、妓夫太郎は浅く溜息を吐いた。

「お前、梅の名前を出せば俺が何でも折れると思ってねぇかぁ?」
「ふふ、どうかなぁ」

惚けた様に泳いだ黒い瞳がこちらを向き、呑気に笑う。心音が駆け足になったことを気のせいだと自らに言い聞かせる最中、急にの顔が近付いて来た為に妓夫太郎は肩をびくつかせたが、黒い瞳はまっすぐに妓夫太郎の腕の中を見下ろしていた。
梅を慈しむ彼女の微笑みは、いつだって途方も無く温かい。

「ねぇ、梅ちゃん。大好きなお兄ちゃんだもん、元気でいて欲しいよねぇ」
「悪ぃけどなぁ、まだ会話は出来ねぇんだよなぁ」

とびきり優しい囁きが、極めて近くから注がれる。問い掛ける先は妹であっても、が今思い遣る対象は違う。
自分でも理解の追い付かない動揺を誤魔化すべく、妓夫太郎が眉間の皺を深めた次の瞬間。

鈴を転がした様な笑い声が、蓑の中から響いた。

今しがたまでぼんやりとしていた梅が、酷く上機嫌に笑っている。あまりの愛らしさに、暫し二人は足を止めて唖然としてしまったものだけれど。

「ほら、笑ってくれた!」
「・・・」
「その通り、って意味じゃないかなぁ」
「・・・うるせ」

梅が笑う。そして、隣で唯一の友であるも笑っている。
胸の内のくすぐったさを何とかすべく、妓夫太郎は顔を背けた。

霧雨は穏やかに降り続く。小さな唐傘は、ゆっくりと三人を守り続けた。


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