年越し前の困り者



夕飯時を過ぎた大晦日は独特の雰囲気がある。
年越しの瞬間を盛大に迎えるべく、街中の様子然り、テレビの番組内容然り、普段とは少し違った空気が漂う。
脱衣所の時計の針は二十三時を回ろうというところだ。短めの入浴を済ませ居間に踏み込んだ次の瞬間だった。

「・・・しぃ」

唇に人差し指を当てた客人であるの制止を受け、妓夫太郎は瞬間肩を揺らして動きを止めた。
何事かと彼女と視線を交わし数秒、辺りを見回しほんの一秒。
こたつに腰から下を入れたまま見事にひっくり返った妹の姿に、謎は緩やかに解けた。

「ついさっきまで元気だったんだけど・・・」
「こりゃあ、電池切れだなぁ」

何とも幸せそうな顔をして、梅は寝息を立てていた。ローテーブルには所狭しと菓子と飲み物が並ぶが、これら全てが熟睡中の妹の希望で集められたものであることを妓夫太郎は知っている。
昼過ぎから年末のセールに出掛けショッピングを楽しみ、夕飯は天麩羅と年越し蕎麦、沢山の菓子を好きに摘み、午前零時の年明けと共に神社へ初詣に行くのだと。当然の如く指名したと妓夫太郎を両脇に従え、それはもう機嫌良く大晦日を満喫しーーー計画半ばで、眠気に敗北した様だ。

「この寝方は朝まで起きねぇだろうなぁ」
「寝顔も天使みたい。可愛いねぇ」

惜しみなく愛らしい寝顔を晒す梅を挟み、二人は暫し穏やかな時間を満喫する。妹のすぐ傍に屈み込みつつも、先に話の舵を切ったのは妓夫太郎の方だった。

「・・・悪かったなぁ」
「え?」

何でもない顔をして小首を傾げているが、実のところ他の予定を打診されていたことを梅は恐らく知らないだろう。

「お前、梅の為に旅行の誘い蹴っただろ」
「・・・知ってたんだ」

瞬間目を丸くした末、は頭を小さく掻いて苦笑を見せた。
大学の友人グループから温泉旅行の計画を持ちかけられていたことは嘘ではない。しかしそれほど優先順位の高い企画でも無ければ、そこそこの大所帯に自身が必須の参加者でないことも彼女は理解していて。参加の最終回答日より前に飛びついて来た梅の願いに、迷う事なく頷いたのだった。

「年越しは一緒にいてくれなきゃイヤ・・・なーんて梅ちゃんが言ってくれるなら、何を放っても最優先に決まってるじゃない」
「その張本人が零時前にあっけなく夢の中なんだよなぁ」
「ふふ。そういうところも可愛くて好きだよ」

何と言っても梅は可愛い。この様なことは振り回される内にも入らないと、は寝顔を見下ろし柔らかく微笑む。

「温泉旅行なんかより、二人と一緒にいられることの方が私にとってはずっと大事。それだけ」
「・・・」

緩やかな不意打ちに妓夫太郎は眉を顰める以外の術を持たない。
梅を妹の様に溺愛するは、時折こうして妓夫太郎をも同列にした発言を繰り出すので少々困りものだ。
そうして難しい顔をする風呂上がりの髪が乾かし足りていないことを目敏く捉え、彼女が手を伸ばす。

「髪まだ濡れてるよ?ちゃんと乾かさないと」

首にかかったままのタオルを攫い、が苦笑混じりに若干湿った髪を包む。その場に屈み込んだまま、妓夫太郎もされるがままに抵抗をしない。
暫し二人は会話を封印する。テレビの音声が、やけに騒がしく感じた。

「・・・あの」
「・・・お前よぉ」

ぴったり同時の問い掛けは瞠目し合うことに繋がったが、互いに無言で譲り合った末先に折れるのはだった。妓夫太郎の髪を包んでいたタオルから手を離し、相変わらず寝転んだ梅を挟んだままの距離感で改まった様に正座する。

「あの・・・梅ちゃんはぐっすり寝ちゃったし、私が帰った方が妓夫太郎くんもゆっくり出来て良いのかもしれないんだけど・・・もし迷惑じゃなければ、このままここで一緒に年越しさせて貰えたら嬉しいなぁ、なんて・・・」

は至って真剣な顔をしてそう告げた。妓夫太郎の返答がなかなか出てこないことを察し僅か縮こまると、徐々にその口調は早口になっていく。畳み掛ける様に、懇願するかの様に。

「梅ちゃんをお布団に運ぶの手伝うし、食べたいって言ってたお雑煮も明日の朝二人で食べて貰える様に準備しておくよ。片付けもお掃除も全部して朝になる前に帰るから・・・どう、かな」
「却下に決まってんだろうが」

即答は、否。
しかし、彼女に真意を誤解させない為にはこちらも畳み掛ける必要があることを、妓夫太郎は理解している。

「準備だけさせてこんな時間に帰すかよ。そこまで薄情じゃねぇつもりだけどなぁ」

足元が崩れた様な暗闇はほんの一瞬。少々の時間をかけて頭の整理をつけたが、恐る恐る顔を上げる。妓夫太郎の表情は変わらず険しいが、口にしていることは優しい。少なくとも、にとってはこれ以上無く嬉しい提案だった。

「・・・二人のお正月、朝からお邪魔して良いの?」
「邪魔ならそもそも呼ばねぇんだよなぁ」
「そっか・・・嬉しい」

ほんの瞬間で緊張したかと思えば、同じく瞬間で弛む。振り幅が大きいのだと妓夫太郎が頭を掻く間にも、は目を丸くして明るく挙手をして見せた。

「お泊りセット、コンビニに買いに行って良いかな」
「一式あるけどなぁ。布団も梅の部屋に準備してある」

事実、彼女が今日梅の部屋に一泊する為に必要なものは二日前に梅本人が嬉々として揃えたものに違いないが、客観的に考えて準備が良過ぎる。
思わず唖然とするに対し、順番が前後しただけでいずれ説明するつもりだったのだと妓夫太郎は懸命に自らを正当化した。

「お前が梅の誘いをどう解釈してたかは知らねぇが、俺たちは最初からそのつもりだって話だ」

泊まっていけと言い出し辛く困っていたとは白状しないが、結果的には深夜に帰ると言い出したを正論で引き止める形に落ち着いた。
妓夫太郎にとって非常に好都合だったが、すんなりとは終わらない。

「・・・妓夫太郎くん、どうしよう」
「あぁ?」

正座の上で握った拳を最大限に丸くし、らしくもなく眉間に皺を寄せて。しかし妓夫太郎の心配をよそに、次の瞬間には力が抜ける様な笑顔を咲かせる。

「こんなに幸せなことが零時前に押し寄せて、来年は良いことひとつも無いかも。それでも全然構わないくらい、すっごい嬉しい」

そうだったと、妓夫太郎は数秒前に心配顔をした自身を悔やむ。
は少々どころの問題ではなく、困り者なのだ。

いかに妓夫太郎の自己肯定感が、極めて低くとも。
流石にこれは、都合良く勘繰ってしまうものではないか。

「・・・馬鹿言ってねぇで、さっさと風呂入ってこいよなぁ。ぐずぐずしてると風呂場で年越しになっちまうぞ」
「ふふ、確かに。それじゃあお借りします、ありがとう」

内心の葛藤を蓋の中に捻じ込み、妓夫太郎はを居間から半ば強引に押しやる。
素直に頷き立ち上がった彼女は、しかし不意に背後を振り返った。

「ね。妓夫太郎くんはさっき何を言いかけたか、聞いて良い?」
「・・・察しろよなぁ、ばぁか」

大きな手に前髪を混ぜられ、はわ、と声を上げて笑った。


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