Good luck Halloween





ダン、と激しい音を立てて木製のテーブルに紙コップが着地した。
蓋の下は憤慨している美少女の希望で買った蜜芋のカフェラテだが、ホイップは無事だろうか。

「もうっ!お兄ちゃんなんて許してあげないんだから!!しばらく口も利いてあげないし、目も合わせてあげない!」

飲み物の状態はさておき、怒っている表情も実に可愛らしい。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、は自分用のカフェモカを啜り苦笑を浮かべた。

公園の銀杏並木はもうじき見頃を迎えようとしている。
家族連れやカップルで賑わう風景は年間通して同じ様でいて、今だけは特別だ。各々が思い思いの扮装で練り歩き、お菓子の籠を持った着ぐるみ達が公園内を巡回している。
ハロウィンは目前だった。にも関わらず、向かい合って座る絶世の美少女がスウェットの上下とジャケット一枚で不満顔をしているのは何故か。常日頃大好きだと豪語している兄を相手に、美しい眉を顰めて悔しさを募らせているのは何故か。

「またまた、そんなこと言っちゃって。大好きなお兄ちゃんとお話出来なかったら淋しいんじゃない?はやく仲直りした方が良いんじゃないかな」
「嫌よっ!アタシ悪くないわ!」

ことの次第はざっくりと把握している。何しろ半泣きで怒鳴り散らす梅からの着信を受けては家を飛び出したのだ。
可愛い妹。血縁関係で言うならば妓夫太郎にのみ当て嵌まる表現だったが、彼女にとっても梅は妹に等しく大切な存在だ。助けを求められて放ってなどおける筈が無い。

「何よ。お兄ちゃんのばか。折角色々準備したのに、強引に連れ帰って着替えさせるなんてありえない」

甘いものを買い与え、ひとしきり好きに喚かせることで梅は多少落ち着いた様だった。
兄譲りの綺麗な青い瞳は、今怒りよりも淋しさに揺れている。手を伸ばして触り心地の良い白い髪を撫でれば、もっとと言わんばかりに頭を寄せてくるものだから可愛くて仕方が無い。は慎重に言葉を選びはじめた。

「・・・私は妓夫太郎くんの気持ち、少しわかるなぁ」
「ちょっと!アタシの味方してくれないの?!」
「んー。梅ちゃんのことは大好きだけど、大切だからこそ心配になっちゃうと言うか・・・」

アルバイト終わりの兄と外で待ち合わせ、サプライズでハロウィンの仮装を披露する。
じゃーん!どう?と軽やかにターンすることまで決めていた梅の思惑は、見事に裏切られることとなってしまった。
有無を言わさず即帰宅、即着替えを強いられた梅がどれほど落胆したことか。
しかし聞き役に徹する中で、どんな衣装だったのか私も見たかったなぁと零すことではその全貌を画像で見せて貰っている。大変可愛らしいのだが、同時に大変際どいミニドレスだった。正直なところ、妓夫太郎を一方的には責められない。

「逆のこと、考えてみたらどうかな」
「逆・・・?」
「妓夫太郎くんがすっごい際どくて格好良いコスプレしてて、道行く女の子たちがキャーキャー言ってたら・・・」
「はぁ?!そんなブサイク共は全員ぶっ飛ばすわよ!!・・・あ」

自分で自分の言葉に気付くことの出来る梅は偉い。
そうしては更に優しい手付きで美しい白髪を撫でた。

「多分、妓夫太郎くんはそんな気持ちだったんじゃないかな」

は実際にその場にはいなかった、しかし想像は容易い。
往来でお兄ちゃんと大声を上げて元気よく手を振る梅、只でさえ注目を集める美少女が際ど過ぎる扮装で飛び跳ねる光景、集まる視線、慌てて上着を着せようとする妓夫太郎、反発する梅、良からぬ視線から必死で守ろうとするばかりにヒートアップしていく兄妹。やがて訪れた爆発から今に至るまでの流れが実際に見て来たことのようにわかってしまい、は緩く苦笑を浮かべた。

気持ちはわかる。どちらの気持ちも、わかる。

「でも、梅ちゃんの気持ちもわかる。他の誰でも無く、妓夫太郎くんに見て欲しかったんだよね」

二人のテーブルのすぐ傍で合流を果たしたらしき大人たちが歓声を上げた。似合う、可愛い、とそれぞれの扮装に賞賛の声を上げ、楽し気に笑い合っている。
小さな子どもから大人まで、仮装は自分一人の為だけにしている訳ではない。見て欲しい相手、思い出を共有したい相手がいるからこそだ。
着ぐるみの猫からお菓子を貰った小さな魔女が、親から頭を撫でられ上機嫌に跳ね回っている。その様子を眺めていた梅が、ぽつりと呟いた。

「お兄ちゃんに、可愛いって言って欲しかった」
「うん、そうだね」
「お兄ちゃんに、アタシが一番だって、褒めて貰いたかった」
「妓夫太郎くんにとってはいつだって、梅ちゃんが一番可愛い自慢の妹だと思うよ」

素直に気持ちを吐露する少女は、実年齢よりも更に幼く見えて堪らない気持ちになった。
心の棘が目に見えるものであれば、何を置いても真っ先に抜いて抱きしめてあげたい。
優しく見守るの視線を感じ、梅がおずおずと目を合わせてくる。

「・・・アタシのこと、怒ってると思う?」
「ううん。すごく心配はしてるだろうけど、怒ってはいないと思う。大丈夫、すぐに仲直り出来るよ」

は即答を返した。
心配はいらない。彼が如何に妹を大切にしているのか、彼女は実によく知っている。
安心を促そうと、ひとつの閃きから新たな提案が示された。

「そうだ梅ちゃん。外じゃなくて、おうちでハロウィンの仕切り直しっていうのはどうかな?」
「・・・」
「お菓子もケーキも私が準備するし、カメラマンもしっかり務めるよ。梅ちゃんが何着お着換えしても、妓夫太郎くんとのツーショも、全部きっちり撮らせていただきます!」

全て本心ゆえ、はきはきと告げた計画は真っ直ぐに梅の心をくすぐれた様だった。
綺麗な青い瞳が丸くなり数秒、戸惑う様に揺れて更に数秒。遂に堪えきれずに緩んだ口元からは、途方もない達成感を貰えた。

「・・・そんなに言うなら、働かせてあげる」
「ふふ。決まりだね」

梅は可愛い。どんな表情も可愛いけれど、出来ることなら明るいままでいて欲しい。
が安堵からますます楽し気に笑った時のことだった。二人のテーブルに、着ぐるみの猫が近付いて来る。
手元には当然、お菓子の詰まった籠が握られていた。

「梅ちゃん、合言葉でお菓子が貰えるよ」
「えぇ?アタシそんな子どもじゃないんだけど」
「関係ないよ、ハロウィンだもん。きっと貰えるよ」

若干躊躇していた梅だったが、の押しの強さに負けたのか渋々合言葉を口にした。

「・・・トリックオアトリート」

着ぐるみの大きな手が、むんずと籠の中身を掴む。飴玉やチョコが透明なフィルムにラッピングされた塊が、四つも梅の両手に転がり出た。随分と大盤振る舞いだ。これには梅も思わず声を上げた。

「わ。こんなに・・・ありがと」
「良かったね、梅ちゃん」

可愛い子にはサービスしちゃうよね、などと呟きながら微笑ましく見守っていたに向けて、着ぐるみが方向転換をした。これにはおやと彼女も目を丸くする。

「え?私も良いのかな」
「ちょっと、アタシにだけ言わせるつもりだったの?」
「うーん・・・じゃあ折角なので。トリックオアトリート!」

合言葉を唱えるならば、大人も子どもも関係無い。
猫の手に握られた包みが彼女の両手に乗った。ラッピングは三つ、サービスが良い。は目を細めて笑った。

「ありがとう、猫さんも良いハロウィンを」




* * *




「梅ちゃんはおうちまで送り届けたよ」

背後からかけられた声に、着ぐるみの猫はびくりと肩を震わせた。

仮装会場の銀杏並木からは外れた広い公園敷地の端、大きな木の裏側に他の人影は無い。にも関わらず、は迷わず真っ直ぐにこちらへ向かって来た。

「まだ時間かかりそう?私も買い出し終わったらすぐ向かうけど、なるべく早く戻ってあげて欲しいな」
「・・・」
「あ。聞いてただろうけど、今度は可愛いってたくさん褒めてあげてね。今頃着替え直してる筈だから」

にこやかな表情、次々と出てくる言葉。それらは全て、近しい存在へ向けられるものだ。くぐもった声が、被り物の下から零れ出る。

「・・・お前、なんで、」
「あれ?気付いてないと思ってた?」

可笑しそうに笑った彼女は念のためにと辺りを見渡した末、誰もいないことを確認した上で猫の被り物に手をかける。
背伸びも若干の重さも、全てものともせず蓋が開くのを、彼は抵抗もせずに受け入れた。
着ぐるみの熱気で汗ばんだ額に秋の風が吹き抜ける。ようやく直接目が合うと、は柔らかく微笑んだ。

「わかるよ、妓夫太郎くんのことだもん」

一見答えになっていない様で、実に説得力のある声色だった。
今日の情けない顛末を含め、彼女に何かと見透かされていることは否定出来ない。
そもそも首から下が着ぐるみの状態では何を言っても格好がつかないだろう。妓夫太郎は浅く溜息を吐きながら、の手にある被り物を受け取った。

「ずっと傍をウロウロしてたし。後悔と不安と、梅ちゃんへの愛が溢れてるのがとっても伝わって来た」
「・・・言い方が大袈裟なんだよなぁ」
「そうかな?あ。あと、着ぐるみの猫さんにしてはちょっと動きが可愛くなかったかも」
「うるせ」

梅を大切にすることに関して、揶揄うでもなく馬鹿にする訳でもなく、和やかでいて至極まともなトーンでは告げる。
だからこそ、気難しい梅が懐くのであって。
だからこそ、傍にいて心地が良いのだ。

「一時間だけ強引に捻じ込んだからなぁ。残り十五分も無ぇ、すぐ戻る」
「うん、わかった。先に行って待ってるね」

にこやかに手を振り踵を返した彼女のことは、そう待たせることなく追うことが出来るだろう。話など後からいくらでも出来る。

「・・・おい」
「ん?」

しかし、妓夫太郎は今その後ろ姿を引き止めてしまった。
微かな一言を難なく拾い、が振り返る。

急かさず立ち止まって待つ彼女に、今日どれだけ救われたことか知れない。
兄として精進不足だったところを、的確なフォローと優しさを用いて梅に説いてくれた。
どちらに寄るでもなく、上手に間を取り持ってくれた。

「・・・世話、かけたなぁ」

ぼそりと呟いたその音量は、十分なものではなかった。それでもの瞳が丸くなるのは、しっかりと言葉を拾ってくれた証だ。
何とも言えぬ気恥ずかしさに、妓夫太郎は彼女に背を向けて歩き出すことで話を打ち切る。

再度猫の頭を被ろうとした、その刹那。
ぼすんと音を立てて背中に飛び付かれ、妓夫太郎の足は止まった。

それなりにしっかりとした着ぐるみではあるが、頭部に比べれば当然素材が薄い胴体に、背後から抱き着かれている。
心音がドッと大きく波打った。

「がんばれ、おにいちゃん」

おにいちゃん。妹を真似た呼び名が、悪戯に響く。
しかしながら梅との関係修復を果たしていない今、からのエールは非常に効いた。

背中にぴたりと寄り添った熱が、日頃軽率に触れてくる体温が、一枚の膜を隔てている様でもどかしい。
両手で被り物を持っている為何も出来ず、何も返せず。
ぱっと離れ行く感覚に振り返れば、彼女は既に小走りで距離を空けていて。
一度だけ振り返った得意げな笑顔が若干赤いと、遠目にもわかってしまう。

してやられた感覚と同時に、心臓が熱い。
妓夫太郎は走り去るを見送ると共に下唇を噛んだ。

「・・・覚えてろよなぁ」

格好のつかない捨て台詞が、晴れ渡った空に消えた。




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