You're Mine




社用を終えて帰宅した際の出迎えの有無で、まずはの体調の良し悪しを窺うことが出来る。調子が良いのか、悪くとも少々無理を押しているか、起き上がることも儘ならない程に悪い日か。
自室に辿り着くまでに顔を合わせなかった答えはひとつだ。限られた時間でどう看病に当たるべきか、最善は彼女の顔色を見てから決める。先ずは荷を置いて着替えることから始めなくては。株主総会の為の正装は、看病向きとは言い難い。
そうしてジャケットを脱ごうと自室へと踏み込んだシャディクの時が、止まった。

「・・・」

部屋の片隅に佇む女性は長いスカートの裾を軽く持ち上げ、背筋を伸ばしたまま片足を引く美しい作法で礼をしている。黒一色の給仕服に白のエプロンはクラシカルなハウスメイドそのものだが、ゼネリの使用人達の装いとは違う。
そもそも、彼女はどう見ても使用人ではない。

「お帰りなさいませ」

どんなに装いが異なろうとも、この声を聞き間違える筈が無い。伏せられていた顔がゆっくりと上向き目が合うその瞬間に至って尚、シャディクは言葉が出なかった。思ってもみない方向からの衝撃はひとから言語を奪うという、実体験にして初体験。実に、面白い。漸く喉元からじんわりと主導権を取り戻し始めたと同時に、の瞳が羞恥に染まった。

「あ、あの・・・やっぱり変よね、ごめんなさい・・・!」
「ああ、待って待って」

足早に立ち去ろうとするを引き止めるべく、シャディクは遅まきながらも自らのコントロールを取り戻した。彼女の逃げ道を塞ぐべく背後から伸ばした手で扉を閉ざし、同時に身体を使い退路を断つ。完全に挟み撃ちに遭い揺れるの瞳は、大型の獣に怯える小動物を思わせた。それだけでも堪らない気持ちになるというのに、目の前の彼女の装いはどうだろう。込み上げる笑みをそのままに、シャディクは目を細めた。

「反応が遅れてごめんよ。あまりの可愛さに驚いてしまって、咄嗟に言葉が出なかったんだ」
「良いわ、無理しないで」
「無理なんてしてないよ。ほら、もっと良く見せて」

両手で華奢が過ぎる肩を掴んでしまえば、は抵抗など出来る筈も無い。本能とは逆方向に力を入れるべく、シャディクは腕を目一杯に伸ばし彼女の頭から爪先までを観察した。
当然ながら着崩すこと無く一番上まできっちりと止められたボタン、邪魔にならぬ様纏め上げられた髪、長いスカートの下で小さく震える足を除けば外見上完璧なハウスメイドだが、備わった気品はどう見ても使用人のそれとは違う。が困り果てた分だけ、シャディクの機嫌は際限無く上向いていった。

「うん、隙無く着こなせてる。可愛いけど、ハウスメイドの上品さも際立つね。流石は姉さんだ」
「お願いだからそんなにフォローしないで。恥ずかしいわ」
「心外だな、全部本当のことなのに」

わざわざこの様に手のかかる準備をしてが今日に臨んだのは何故か。良家の令嬢たる彼女が、使用人に化けたのは何故か。シャディクはその理由を知っている。





『姉さんが専属で俺の世話係になってくれたら、仕事の疲れも吹き飛ぶのになぁ』





実際にはさして疲れもしなかった仕事後の訪問は数日前のこと。戯れに発した一言を律儀に受け止めまさか実行してくれるとは。日々増していく従順さと、時に想像を超える行動力で無理をする健気さが酷く愛おしい。
伸ばしていた肘を緩め身体ごとそっと距離を詰めれば、白い頬の熱さが伝わってくる様な気さえした。

「それで、可愛いメイドさんは俺の為の装いだと思ったんだけど。違ったかな?」

低い囁きに被せ、シャディクは音を立てて部屋の鍵を内から閉めた。




* * *




「・・・シャディク」
「なに?」

の声からは怯えや焦燥の色は無くとも、困惑の響きがする。しかしそれら全てに構うことなく、シャディクは鼻唄でも歌いだしかねない程の上機嫌さを持って手を動かしていた。

「ハウスメイドは本来、主に仕えるものじゃないかしら」
「そうだね」
「これでは立場が逆転していると思うんだけど」

普段は身だしなみのチェックでしか使わない鏡の前に椅子を置き、を座らせる。更に自身も別の椅子で背後に掛け、シャディクは丁寧に彼女の髪を解いた。
互いに服装はそのままだ。シャディクは黒のスーツ、は黒の給仕服。用途はともかくとして、隙無く上品な仕上がりは彼女の雰囲気によく合っていた。折角用意してくれた装いはそのままに、不要だと感じたまとめ髪のみを優しく解き丹念に梳いていく。
鏡越しに訴えてくる戸惑いの視線を巧みにかわし、シャディクは綺麗な顔で微笑んだ。ハウスメイドは主に仕えるもの。主従の配役を含め、の認識は正しい。

「逆転はしてないよ。全部俺のしたいことなんだから」

指通りの良い滑らかな髪を、毛先から順にブラシで柔らかく梳かしていく。この充実感が本人に伝わらないあたりが、何とも惜しいところだ。全てはシャディクが望んだことである。よって、今日のは全ての要求を甘んじて飲む必要があるのだ。

「姉さんの髪は相変わらず綺麗だね」
「シャディクの髪だって、とても綺麗だわ」
「ありがとう。でも俺は姉さんの綺麗な髪が好きなんだ。この手に委ねて貰えるだなんて、最高に贅沢な時間だよ」

誉め言葉のどの部分にが瞬間肩を跳ねさせたのか。そこには敢えて触れることなく、シャディクはにこやかに手を進める。
女性にとって髪は特別な部位ではないだろうか。直接肌に触れる訳ではないが、それに近しい感覚を少なからず有する筈である身体の一部。長さをもったそれらを委ねられることの、言葉では表現し難い満足感。弟が命にも似た大事なものを手中に入れている気さえしているなどとは、彼女は考えもしないだろう。

「髪を梳かし終わったら、お茶の時間にしよう。勿論俺が準備するよ。ああ、それとも爪の手入れが先かな。一緒にいられる時間は限られているから、悩ましいね」

有限な時間の中で、どんな手法をもって甘やかすべきか。戯れとは言い難い真剣さで頭を巡らせるシャディクに対し、が言い辛そうに口を開いた。

「シャディク。その・・・この格好をしている意味が無くなってしまうわ」
「はは、何を言ってるんだい」

それは実に穏やかな笑みだった。
優しく整えられた弟の顔をして、シャディクが鏡越しにの目を射抜く。

彼女が息を飲んだのは動揺だろうか、それとも無意識の防衛本能だろうか。シャディクは役目を終えたブラシをゆっくりと手放し、浅く身を乗り出した。
その間も決して目は鏡から離さない。もそれは同じの様だった。互いに磁石の如く惹かれ合う空気は、少々の緊張感と熱が溶け合い不思議な温度をしている。

「今の姉さんは俺だけのもの。ここは譲るつもり、無いんだけどな」

意味は当然ある。今日限りとは言え他でもないから差し出された貴重な主従関係を、途中で放棄する様な愚かな真似はしない。
一言一句、彼女の目にも映る形で耳から直接刻み付ける様、囁きながらシャディクは鏡越しに微笑む。

「姉さんに尽くすことが俺の望みだよ。だから今日は時間が許す限り、思う存分執事の真似事をするって決めたんだ」

支配することと尽くさせることはイコールで結ばれない。誠心誠意尽くすからこそ、心の底まで余さず掌握することが出来るというものだ。誰に理解されずとも構わない。これが互いの為の最善だとシャディクは信じていた。

「で、でも、貴方はお仕事で疲れてる筈なのに、悪いわ」
「優しいね、姉さんのそういうところも好きだよ」

ほんの僅かな距離まで顔を近付ける関係はただの姉弟とは到底呼べるものではないだろうが、今のはそこに異論を唱えない。呼吸する様に動揺の種を混ぜ込み、シャディクは優しげな笑みを象ったままの薄い肩を抱く。じりじりとこの折れそうな身を焦がす熱も思いのまま。そう考えるだけで、途方も無く胸の内が満たされた。

「でも心配しないで。仕事疲れには姉さんと過ごす時間が一番よく効くんだ。俺の好きにさせて貰えるなら、尚のことね」
「・・・本当に?」
「誓って言えるよ、本当さ」

無粋なことなど考える筈も無い。ただ、優しく甘やかに蕩けさせてしまいたい。何も考えなくて良い。傍にいなければ生きていけない程、更に深く依存させたい。シャディクにとっては、そうした欲を強烈に掻き立てられる特別な存在だ。

「だから、ね。可愛いメイドさん、どうか大人しく俺の言うことを聞いて」

服の上からするりと鎖骨をなぞった指先が、身体の中央の突起で止まった。
黒い給仕服の下、肌身離さぬ赤い石の存在証明にが一瞬遅れて頬の熱を上げる。鏡を通したその光景の愛おしさに、シャディクが小さく肩を揺らして笑った。


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