Dominated Secret



シンプルなドレスの裾が、一定のリズムに沿って宙に揺れている。
靴音がひとつ鳴る度、シャディクが通路を一歩前進する度、抱えられた細い足首と共に揺れる。

「・・・ごめんなさい」

掻き消えそうな謝罪の言葉を、シャディクは難なく拾い上げた。腕の中に収まっているの表情は灯が消えた様に心許ない。心配になる程軽い身体を抱き上げたまま、足を止めること無くシャディクは微笑んだ。普段より更に優しく声を発することも忘れない。

「姉さんが謝ること無いよ」
「でも・・・いつも迷惑ばかりかけてしまうわ」
「迷惑だなんて思う筈無いじゃないか」

軽度の眩暈によってがバランスを崩すことは、昔から度々起きること。その際彼女を部屋へ運ぶのは、身長で追い越し始めた頃よりシャディクの役割だ。がどんなに肩を落とそうとも、どんなに己の脆弱さに打ちのめされようとも、シャディクにとってこの時は至福以外の何物でもない。毎日は一緒にいられない今、その価値観は上がる一方だと言うのに。片や迷惑とは対極の待ち焦がれた時間が、もう片方にとっては胸の痛みを伴うとは皮肉な話だ。こうした時の正しい接し方も、当然シャディクは心得ている。

「俺に運ばれるのは嫌?そんなに俺は頼りない?」
「そんなこと無いわ・・・!」
「なら良かった」

僅かに眉を落とした珍しく気弱な表情から一変、言質を取った途端に上機嫌に微笑む。そんな弟の顔を見上げ、が苦笑を零した。

「頼もしいのは勿論だけど・・・どんどん、逞しくなっていくのね」
「え?」
「貴方のことよ。背が高くなって、細身だけど腕もしっかりして・・・」

何度もこうして抱き上げられているからこそ、にはわかる。視界の高さが変わり、安定感が増し、直接抱かれることで実感する腕の逞しさも昔とは違う。

「・・・もう、すっかり大人なのね」

それは、実に複雑な声色だった。落胆では無い。しかし、弟の成長を喜ばしく思う声とも違う。胸の内に、じわりとインクの染みが広がる様な感覚。口を挟むことなく次の言葉を待つシャディクを見上げ、が僅かに声を潜める。注意深く辺りを見渡し、自分たち以外に人気が無いことを確認した上で発された声は硬かった。

「ね、シャディク」
「なに?」
「今から言うことは、ふたりだけの秘密にしてね」

ふたりだけの、秘密。それは何とも言えず甘美な響きを伴ったが、の真剣な表情に応えるべくシャディクは無言で先を促す。

「・・・私も、もっと丈夫な身体に生まれたかった」

にしてみればさぞ勇気の要る発言だっただろう。それは切実が過ぎる程の願い。しかし彼女の性格上、親への愛や優しさから滅多な事では口に出来る筈も無い言葉だ。シャディクは表向き頼もしい弟の顔をして一度頷いて見せた。

一言一句、想定の範囲内だとは決して口にしない。の複雑な胸中も、本人ですら持て余す落ち着かない感覚も、何もかもわかっている。羨望と自信の無さ、周囲からこの屋敷ごと取り残されるのではないかという不安。華奢な身の内に抱え込むには大き過ぎる渦を、しかし唯一人以外には打ち明けられない様仕込んだ。親への感謝、使用人への配慮。そんなものでは到底割り込む余地が無い程、徹底的に時間をかけて覚えさせたのだ。一番の理解者は誰であるか。隙間無く寄り添い、安堵と幸福を与えられる存在は誰なのか。“ふたりだけの秘密”は嬉しくも種が芽吹いた成果だ。の最も切実で大きな悩みは、他の誰とも共有されることは無い。だからこそ、この縋る様な表情が堪らなく悦いのだろう。シャディクは震える程の歓喜を完璧に隠しきったままに微笑んだ。

「大丈夫だよ、姉さんの言う通り秘密にする」
「・・・ありがとう」
「俺の方こそ。話してくれてありがとう、姉さん」

秘密を守るという簡単な返答により、の表情が安堵に緩む。たった一言、しかし容易く口には出来ない本音を吐き出せた心弛びにより彼女の瞳は柔く蕩けそうな色をしていた。何もかも、自分だけが知っている側面。腕の中の光景は自分だけのものだと笑顔を堪能したシャディクは、不意におどけた調子で目線を逸らした。

「でも、同意は出来ないなぁ」
「え?」
「姉さんがもっと丈夫で逞しい女性だったら、こうして抱き上げて運ぶ役得も無かったってことだろう?それは考えるだけで淋しいな」

きょとんと目が丸くなったかと思えば、次の瞬間には肩の力が抜けた様に綻ぶ。横目にそれらを確認するだけでシャディクの心は解けた。が何と言おうとこの状況は役得としか言いようが無い。

「もう。嘘ばっかり」
「はは、嘘じゃないさ」

嘘なものか。強烈な独占欲と歪みきった優越感は、恐らくには生涯理解出来ないものだろうがそれで構わない。丈夫でなくても良い、逞しくなどなる必要が無い。助けが要るならばいくらでも助けよう。

「心配しないで。俺が姉さんを何処へでも連れて行くよ。手足にでも翼にでも、姉さんの為なら何にだってなるから」

依然としてしっかりと抱き上げたまま、近い距離で目と目を交わしてそう告げる。普通の姉弟の距離感とは言い難い言葉だった。しかし、それを受けたは目を細めて微笑む。

「優しい弟が傍にいてくれて、私は幸せ者ね」

美しい薔薇は時に棘が優しく突き刺さる。血を流すことも慣れ切ってしまったかの様に、シャディクは穏やかな談笑を途切れさせることなく歩みを進めた。



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