Without Me





暗く閉ざされた部屋の隅で、モニターの灯だけが不気味に存在感を放っていた。通信相手の男の白々しい笑みの奥には、侮蔑が容易く透ける。アーシアンとスペーシアンの混血。哀れな紛争孤児。使い勝手の良い走狗。内心でどう嘲られようと構うものかと、シャディクは社交用の仮面を崩さない。

『それでは、良い返事を期待するよ』

こちらの同意も受け付けず、通信は遮断された。憤りか愉悦か、己も判断に困る様な怠さに目を伏せるのは一瞬のこと。シャディクは隣室への扉を開け、明暗の落差で視界に手を翳して見せた。
グラスレー寮で最も奥まったこの部屋には、限られた“同志”しか立ち入れない。一対一を装った密談は、一言一句彼女たちにも共有されていた。

「そんなこと・・・本当に出来るの?」
「出来る、出来ないの話で言うなら、出来るのだろうな」

エナオが珍しく足を崩し、釈然としないまま問いかける。応えたのはシャディクではなくサビーナだった。

ベネリットグループの解体。デリング・レンブランの失脚或いは暗殺。協力の見返りとして地球への大幅な武力供給を謳った計画は、突然に齎された。

「すごいよねぇ、どこから情報仕入れて来たんだろう。何だっけ?えーと・・・」
「・・・宇宙議会連合?」
「そうそう、ありがとイリーシャ」

ソファの上で膝を抱えたメイジーが軽い体重を傾けた先、受け止めたイリーシャの表情は冴えない。不安。それは表面上どうあれ、この場の誰もが抱える思いに違いなかった。

「餌は何年か前から撒いていたつもりだよ」
「でも、かかることを望んでいたのは、もっと上質な協力者だった筈」

エナオの即答を受け、シャディクは飄々とした空気を引き下げた。

「・・・わかってる」

孤児としてグラスレーのアカデミーに保護され、再教育と称された環境の中で研鑽を積み、アーシアンとスペーシアンの混血児イエル・オグルは、サリウス・ゼネリの養子としてシャディクという名を得た。ここに集う彼女たちも同じ出自のアーシアンであるが、今は素性を偽りそれぞれがパイロット科のエリートとして人気を誇っている。

アカデミーを出た頃までは、生きることにただ必死だった。“グラスレーのCEOに見出されたシャディク・ゼネリ”は努力の結晶であり、誰にとっても喜ばしく誇りですらあった。
しかし成長と共に戦争の闇を知れば知る程、ベネリットグループ傘下の一員として力を得れば得る程、血を流し戦い続ける同胞たちの声に耳を塞ぐことは難しくなった。
企業しか儲らない代理戦争の舞台として、地球はあまりに一方的な虐げを受けている。グラスレーの後継候補とされた身分であればこそ、出来ることは何か。養父の目を盗み、アカデミー生への支援の裏側で、難民キャンプに食糧援助を始めたのは数年前のことだ。あくまで隠密を前提とする為十分な量とは言えず、悔しくも焼け石に水であったが、それでも子ども達が喜ぶという言葉に救われる思いで日々を繋いできた。

自分たちだけでは限界なのだ。もっと強く、自由に動ける同志を得なければ先は無い。そんな中忍び寄って来た声は、真っ向から信用出来るものではなかった。

宇宙議会連合。中でも武力による経済循環を良しと捉え、戦争シェアリングを牛耳るベネリットグループを疎ましく感じている一派だ。手を結んだところで都合良く利用され、いつ寝首を掻かれても不思議ではない。少なくとも、交渉の場に出て来た男に対しシャディクはそういった嫌悪感すら抱いていた。
エナオの言ったことは正しい。孤児上がりの自分たちが水面下で求めていたのは、地球をより良く救済へ導く協力者であって、私利私欲の為に更なる血を流そうと画策する輩などでは無い。

しかし、現実はそう甘くないことも痛いほどに理解している。世の中が一斉に武器を捨て都合良く平和に至る構造をしていたならば、戦争はとっくの昔に無くなっている筈なのだ。

悪魔の手を取れば、地球に武力を与えられる。戦争自体は無くならずとも、一方的な搾取からは脱却させられる可能性が高まる。

ただ、一輪の薔薇が脳裏に過ぎる。

「少し、時間をくれ」
「少しでなくて構わない、よく考えて欲しい」

サビーナの声に導かれ顔を上げた先、四人の同志達の眼差しにシャディクは瞠目した。

「一番大事なことは何か、後悔しない決断を」

憂い、見守り、励まし、時には背に手を添えてくれる。彼女たちには、様々な想いを見通されているようだ。シャディクは苦笑交じりに目線を落とす。

「・・・ありがとう」

心の奥底に置かれたふたつの天秤。ひとつは傾きつつもゆっくりと揺れたまま。もう一方は、オブジェのように固まり動く気配が無かった。



* * *




様やる気あんの?ダルすぎ」

その日の内にシャディクは自宅へと立ち寄った。の自室から漏れた声に、おやと足を止める。
レネの言葉には遠慮が無かった。上品な環境で丁寧に育てられた姉に向けるには、相応しくないのではないかと心配になるほどに。

「そう言わないで。私はとても前向きよ」
「前向きって言われてもねぇ、フォローしてんのは私なんだけど」
「そうね、感謝しているわ」

しかし、次いで聞こえたの声には翳りが無い。不安視したレネの当たりの強さとも、姉は十分渡り合えている様だ。己ばかりが過保護な考えで空回るところだったと、シャディクは扉の前で薄い笑みを溢す。

「お礼はいつものチョコレートで良いかしら」
「一番ゴージャスなやつね。あー・・・でも、甘いから喉が渇くんだよねぇ」
「ふふ、わかったわ。好きな紅茶を選んで頂戴。セットでアスティカシアへ手配するわ」
「さっすが様、話わっかるー」

考えていたよりずっと距離の近い話し方に覚えるものは、安堵か淋しさか。分かりやすい足音を立て、シャディクは室内へと踏み込む。

「秘密の取り引き現場を見てしまったかな」

目が合うなり、ベッドの上で上半身を起こしていたの瞳が輝く。顔色は悪くない。その点を確認し、シャディクはひとつ心を落ち着けた。

「シャディク・・・!」
「ちょ、降りようとしないの」

レネはわざわざドレッサーの椅子を動かしベッド傍に陣取っていた様だった。シャディクの定位置は不可侵のまま空いており、何とも言えぬ喜びが心臓をくすぐる。足早に駆けつけ、もどかしく伸ばされた腕ごと華奢な背を軽く抱いた。

「ただいま姉さん」
「お帰りなさい」

身体の熱さも普段通り。大丈夫だと、シャディクとレネの間で視線のみが取り交わされた。

「困るよレネ。姉さんから財を巻き上げないで貰えるかな」
「えー?私らの関係はウィンウィンなんだけど?」

芝居がかった問いかけだったが、姉に齎されるメリットとは果たして何か。背を腕に抱いたまま見下ろすと、が嬉しそうに微笑んだ。

「本当に?」
「ええ。レネのお陰で随分ゲームに強くなっているの。楽しい時間を貰っているのだから、返礼の品は当然だわ」
「悪いけど様が強くなってる訳じゃないし。すぐ詰むから私が助けてあげてんの」
「・・・ご覧の通り、手厳しいのよ」

ベッドサイドに置かれた携帯ゲームはレネの物だろうが、確かにとは結び付け辛い。これまで縁遠かった小さな端末を手に試行錯誤、持ち主から助け船を出されながら遊びに興じる姉の姿を思い浮かべ、その愛らしさにシャディクは思わず肩を揺らして笑った。

「じゃ、私は戻るから。様、欲しい紅茶はまた連絡するー」
「そうして頂戴、待っているわ」

姉弟が揃ったのならお役御免と、レネが素早く立ち上がる。

「ありがとう、レネ」
「はいはい」

八重歯を見せて笑う訳知り顔を寄越し、今日の当番たる彼女は部屋を後にした。静まり返った部屋の中、互いに抱擁を強める僅かな衣擦れの音が耳に心地良い。

の体調が優れない日が、ここ最近増え始めた。昔から体調不良には波があったが、楽観視は出来ない。姉弟関係を踏み抜いた今、シャディクは一層強くそう感じていた。
大事の局面ですぐさま連絡が取れ、信頼を置ける行動力を備えるのは彼女たちを置いて他にいない。シャディクが不在の間も出来る限りグラスレーの寮生を傍に置きたいという父への願いは、覚悟していた反対を受けることなく了承され、今に至る。四六時中とはいかずとも、がこの部屋でひとり窓の外を眺める時間は随分と減った筈だ。

「レネと上手く付き合えているんだね」
「レネだけじゃないわ。サビーナもエナオも、メイジーもイリーシャもそう。皆可愛くて良い子だもの」

彼女たちひとりひとりの名を慈しむ様に唇に乗せる、姉の声は優しい。レネと同じくそれぞれに関係は良好なのだろう。皆シャディクの願いを理解し、の心身のケアに勤しんでくれている。
不意に過ぎるレネとの距離感を思い起こす。やはり込み上げるのは安堵と同時に僅かな寂寥感で、シャディクは指通りの良いの髪へと口付ける。思いが通じる前から今に至るまで、やはりこの姉のこととなると重症だ。

「俺の紹介ではあるけど、少し妬けるな」
「・・・わかっていないのね」

すぐ傍から聞こえる甘やかな声に、ほんの僅か濁った波紋が広がる。シャディクの背に回った手が、服を掴む力を強めた。

「あの子達は、シャディクに近いけれど・・・誰ひとり、特別な目で貴方を見ていないもの。それがわかっているから、私も上手に付き合えているのよ」

嫉妬せずに済む相手故に付き合えているのだと。そう告白するの表情は、自嘲と恥じらいに満ちている。間近にその光景を見下ろし、シャディクの胸に込み上げるもの。

「わかっていないのは、姉さんも同じじゃないかな」

それは、もどかしく薫る愛おしさに他ならない。

「何処かの誰かからそんな思いを向けられていたとして、俺の気持ちが少しでも揺らぐかもしれない。本気でそう思ってる?」
「それは・・・」

言い淀むの瞳が泳ぐ。身体が弱い故に辛く歯痒い思いをしているであろうこの姉は、昔からその鬱屈を己の内側へと向ける傾向がある。自信の無さすら付け入る隙に利用してきたとシャディクは自覚していたが、今となればその自己否定は不要なものだ。

会話をするには近過ぎる距離へ互いの頭を引き寄せ、目と目を合わせ言葉を刻む。

「姉さんか、姉さん以外か。俺の世界の登場人物はそれだけだよ」

儚げな瞳に、特別な熱を灯す。生命力の薄いに、息を吹き返させる。それが出来るのは己だけだと、誇りとも優越感とも取れる熱い思いがシャディクを満たした。
真正面からの愛を誓われ、が浮かべたのは張り詰めた糸が弛む様な喜び、そして気恥ずかしさを誤魔化す為の微笑みだ。

「お父様やレネ達には別の配役を与えてあげて」
「姉さんが望むなら。でも、例えどんなに役名が増えたところで、台本の一番上に来る名前は不変だよ」

譲らない。が不安を訴える度、シャディクは何度でも繰り返し優先順位を囁ける。揺れていた瞳は、やがて美しく潤んだまま細められた。

「私は幸せ者ね」

吐息の様な柔らかな言葉は、果たしてどちらの台詞だろう。シャディクは再度華奢な姉を両腕に抱き寄せた。

不穏な計画が胸の内に巣食う。ベネリットグループの解体、それに伴うありとあらゆる負の可能性を辿る度、内蔵が灼け付く様な痛みを伴った。
苦しむ同胞を見捨てられない。しかし、この腕に閉じ込めた温もりもまた、今更切り離すことなど出来はしない。彼女が自分無しでは生きていけない様仕組んだのは、他ならぬシャディク自身なのだから。

儘ならぬ思いは渦を描くばかりで、容易く覚悟へは至らない。欲した唯一を手にして尚、シャディクは宿命の様に己の出自を呪った。




 Top