Rose Invitation



彼女は温室の中でしか生きられない、薔薇の様な女性だ。

美しいと形容するには、少々生命力に欠ける。ただ、いつまでも眺めていたくなる引力の強さは儚いとは表現し難い。絶妙なバランスが、この上なく良いのだ。香りの良い紅茶を口に運びながら正面に掛けるを見遣り、シャディクは内心のみでその熱を留めた。
寮生活に入り物理的に傍にいられる時間が減ったことでの不安や心配事は決して少なくはなかったが、こうして向かい合った時の安堵感は計り知れない。今日は調子が良いのだという本人の申告通り、顔色が悪くないことも一因だろうか。日頃から柔らかく微笑んでいることの多いの特別上機嫌な瞳の輝きを一身に受け止める度に覚えてしまう、渇き切った心に温かな水が優しく満ちていく様な感覚に身体中が息を吹き返す。我ながら重症だと感じながらも、久々の姉との時間を楽しむ弟の顔を象りシャディクは微笑んだ。

「最高のティータイムだよ。毎日この時間が取れれば良いのに」
「とても良い香りでしょう?新しい茶葉なの。帰りに持たせてあげるわね」

欲しいのは高級な茶葉ではなく二人の時間だ、とはすんなりと伝わらない。ゼネリ家の実子たるは、ふたつ年下のシャディクを文字通り弟としか見ようとはしない。良き姉として優しく慈しんでくれるをシャディクは慕っていた。尤も、彼女を“姉”だと思ったことは一度も無いのだけれど。本心をひた隠しに、今日もシャディクは生まれつき身体の弱い姉を支える従順な弟を演じることに徹する。

「ねえ、学校のお話を聞かせて。お願い」
「姉さんも好きだねぇ。目新しいことは何も無いよ」
「そんなこと無いわ。何でも良いの、シャディクが学校でどんなことをしているのか知りたくて」
「・・・姉さんはずるいなぁ」

そんな言い方をされれば断れる筈が無い。そもそも、の願いを突き放せる筈が無いのだ。シャディクは大袈裟に肩を竦めると、予め用意していた引き出しからカードを並べるかの様に小さな丸テーブルに肘をつき前のめりになった。狙った通りつられて身を乗り出すとの顔の距離が近くなり、愉快な笑みを零しそうになるのを堪えることに難儀する。その気にさえなれば、ティーポットや茶菓子をひっくり返すことも無く静かにその唇を奪えるのだと。義理の弟が虎視眈々とそんなことを考えているとは、夢にも思っていないだろう素直な微笑みを間近に見据えてシャディクの頬が緩む。欠片も警戒されぬ様計算し尽くされた、弟の顔だった。

の反応を見つつ、当たり障りの無い話を面白おかしく膨らませることにも慣れたものだ。時に驚きに目を見開き、時に不安そうに眉を顰め、そして時に可笑しそうに肩を震わせて笑う。彼女の感情、その表情。ひとつひとつをコントロールするかの様に話題を選び、必要な演出を施す。何ひとつ見逃さない。の何もかもを余すことなく観察し、味わい平らげる。何処か普通とは違う特別な食事をしている気さえするこの時間が、堪らなく癖になって仕方が無いのだ。
身体の弱さ故にままならない不自由を支え、不安に寄り添い、負担にならぬ匙加減の励ましを長年続けたことで築いた信頼関係はそう簡単には崩れぬ強固なものだ。閉ざされた世界を生きるにとって、学園生活は未知の秘境の様なもの。信頼する可愛い弟の口から語られる物語ならば、尚の事眩しく光り輝くに決まっている。それを十分に理解しているからこそ、シャディクはこの時間に決して手を抜かない。引き出せるだけ彼女の笑顔を誘い尽くすと、は頬を明るく高揚させたまま胸に手を当て息をついた。彼女にとっては、弟の語る臨場感漂う物語が冒険そのものなのだ。

「ああ、もう・・・こんなに笑ったのはいつ以来かしら」
「そう?前に帰って来た時も姉さんはよく笑ってくれたと思うけど」
「ふふ、そうだったわね」

素知らぬ顔をして告げる裏で、が弟の不在を人形の様に虚しく過ごしていることをシャディクは知っていた。胸をときめかせるほどの高揚も、まして白い頬に紅みが差すほどに彼女が笑うことなど、間違いなく前回の訪問時以来だろう。
良くも悪くも凪いだ彼女の世界に新鮮な風を吹き込み、心を震わせるのは自分だけだと。明るい生の実感を得られるのは、離れて暮らす弟と接する時だけだと。片時も傍を離れずにはいられぬ代償として、少しずつ少しずつの心にそれを刻んでいく。

「・・・シャディクが帰ってしまうと、淋しくなるわね」
「俺もだよ。姉さんの傍にいられないのは淋しい」

テーブルの上で手を握る。姉弟の域を出そうで出ないその触れ合いに、不安で霞んだの瞳に温かさが戻った。そうとはわからぬ緻密な支配は、今この瞬間も続いている。

「また、素敵なお話を聞かせてね」
「素敵?」
「ええ。シャディクが聞かせてくれるお話は本当に素敵」

羨望と僅かな切なさの混ざり合った声がそれを告げる。淋しさと思い通りにならない溜息を押し殺した、緩やかな苦笑。それを目の当たりにしたシャディクの中で、一本の細い糸がパチンと音を立てて切り落とされた。

「姉さんと一緒にいる時間の方がずっと素敵だよ」

取るに足らない細い糸だ。長く準備した計画には何の支障も無い、小さな綻び。しかし手を握る力を若干強めてしまったことにはっと息を呑むと同時に、もまた大きな瞳を瞬いて。ほんの一瞬の末、その瞳は照れた様に細められた。

「ふふ、揶揄わないで」

優しく諭す表情は、姉そのもの。握られた手を引きもしない態度もまた、姉そのもの。それ以上でも、それ以下でもない。シャディクは再度弟の顔を隙無く作り直し、綺麗な微笑みを浮かべた。

焦りは禁物だ。少しずつ彼女の領域を侵食していく計画は、未だ道半ばなのだから。



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